彼女はひたすらに走り続けている。
日々ハードな仕事をこなし、自己を磨き、際限なく押し寄せる物欲に抗い・・といいたいところだが、その点だけはいつも敗北という結果。
その敗北という結果のそのまた結果、収支は常に赤字。
それでもなぜか生活は成り立っている。
クレジットカード、カードローン、分割払い、リボ払い・・。足りなければ借りればいい。大きな買い物は少しずつ払えばいい。
そんな世間の風潮が彼女の後ろざさえなのだ。
でも・・何かがおかしい。
少しずつでも払っていけばいずれは完済するのが借金のはず。
しかし、
毎月毎月かなりの金額を返済している。なのに減らない。
支払い残高が減らない。
そんな彼女がその男に出会ったのはコンビニのATMの前だった。
★ ★ ★ ★
コンビニのATMから出てきた明細書を見ながら怪訝な表情のひとりの女性。
彼女の名は、竹藤麗子(タケフジレイコ)
管理栄養士として病院に勤務する55歳のキャリアウーマンである。
若い頃はもちろん、40代になってからも何度か結婚の機会はあったが、仕事との折り合いをつけられず、今まで独身をとおしている。
学生の頃からの浪費グセは50代の今になってもおさまらず、独身の自由さから物欲のおもむくままに服やアクセサリーにお金をかけている
その結果陥っている「減らない借金」という自分の経済事情に今、ATMの前で佇んでいる。
どうしてかしら?もう何度も返済してるのに残高がほとんど減らないってどういうこと?
その時、ATMの隣のコピー機のところにいた小太りの男に声をかけられた。派手な色のリュックを背負って丸い黒縁の眼鏡をかけた中年の男性。
あの、すみませんが、コピーしたものが出てこないのですが故障ですかな?
えっ?あ、えーと、これじゃないですか?
あ、これですこれです!こんな場所に出てくるなんて思いませんでした。最近のこの手の機械は構造がよくわかりませんな。複雑すぎて操作も難しい。昔の機械はもっと単純でした。
あ、はい・・確かにそうですね。でもわからなかったら店員さんに聞けば丁寧に教えてくれますよ。恥ずかしがることないですから。
なるほど、そのとおりですな。助かりました。・・ところであなたも何かお困りだったのでは?そのATMの前でだいぶ考え込まれていたご様子で・・、店員さんお呼びしましょうか?
いえ、私は大丈夫です。
困ったときは恥ずかしがらずに店員さんを呼ばれた方が・・
だから大丈夫ですって!これは店員さんを呼んでどうにかなることではありませんから。
はぁ、これは失礼しました。余計なお世話でしたな。
あ、ごめんなさい、ついキツイ言い方してしまって・・でもほんとに大丈夫ですから。
でしたらいいのですが・・ただ、深刻な悩みを抱えている人は何となくわかるんです。職業柄というか何といか・・。
職業柄・・というと?
男はリュックの外ポケットから名刺入れを取り出して1枚差し出した。
しばはまFP事務所
代表・ファイナンシャルプランナー
芝ハマヲ
電話:000-000-0000 メール:xxxxxx@gmail.com
申し遅れました。私はこういうものです。
ファイナンシャル・・あー、保険屋さんですか。
んー、まあ保険なんかも関係ありますが他にもいろいろと。お金に関することならなんでも相談にのるのが私の仕事です。
なんでも・・ですか?
はい、家計の管理や資金計画、資産運用に相続の問題なども扱います。あと借金の悩みなんかの相談も多いですな。
借金・・そういうことにも詳しいんですか?
はい・・あ、もしかして借金のことでお悩みですかな?
え?あ、いえいえ、私のは借金ではなくてクレジットカードの支払いのことですから。
クレジット・・それも実質的には借金と同じです。
え?どういうことですか
ハマヲはリュックの中のファイルから1枚の用紙を取り出した。
《クレジットカードの仕組み・超基本》
あなたがお店のレジでカードを出す
(この時お店はカード会社がお金を払ってくれるか確認する)
↓
カード会社があなたの代わりにお店にお金を払う
(つまりこの時あなたはカード会社から一旦お金を借りる)
↓
約束した期日にあなたの口座からお金が引き落とされることが決まる
(つまりこの間あなたはカード会社から借金をしている)
ごく簡単にいえばこういう仕組みですな。
なるほど・・まあ借金と言われればそうね。
この流れが瞬間的に行われるのです。まあこんなスピードになったのは最近ですがね。昔はもっと時間がかかりました。
そういえばそうですね。なんか大げさな機械にカード挟んでガッチャンとかやってましたっけ。
おやおや、お嬢さんお若いのによくご存知ですな。
若い?あら、私そんなに若く見えますか?もうアラフィフもとっくに過ぎてますけど。
え?これは驚きました。とてもそんなお歳には見えませんが・・
ずいぶんお上手ですね・・あら、もしかしてこれナンパですか?
いやいや、そんなつもりは・・
冗談ですよ。・・それはそうと、クレジット払いが借金だとしても別に悪いものではないでしょう?キャッシュレスの時代だし。
たしかにクレジットカードは大変便利なものです。財布に現金がなくても買い物ができるのですから。でもそれが逆にトラブルのもとになることもあるのです。
トラブルというと?
自分の収入以上に使い過ぎてしまうことです。一番深刻なのは多重債務。カードで買い物したお金が払えず、そのために借金をするというパターンです。借金を借金で返すという最悪の形ですな。
なるほど・・あ、でもそうならないために分割払いやリボ払いがあるじゃないですか。一度に払うしかなければその方が大変になって借金しなきゃならなくなるわけでしょう?サラ金とかから。
そこです。トラブルを生むいちばんの原因はその分割払いやリボ払いという返済方法でしょうな。
えっ?どうしてですか?とりあえず一度に支払う金額を少なくできれば借金なんかしなくて済むじゃないですか。
その辺を誤解されている方が実に多い。分割払いやリボ払いというのは消費者金融からお金を借りているのと同じことなのです。
えー?どういう意味ですか
ハマヲはファイルから別の用紙を取り出した。
《クレジットカード・分割、リボ払い手数料について》
【分割払い】あらかじめ支払回数を決めておく方法です。
3回以上の分割払いには手数料がかかります。分割回数が多くなるごとに手数料率は上がります。
一般的な手数料率は、回数に応じて12%~18%程度です。
【リボ払い】あらかじめ一回の支払金額を決めておく方法です。
支払い残額が多いほど利息の額が多くなります。
一般的な手数料率は、15%程度です。
この手数料というのはつまり利息のことです。そしてこの利率は一般的な消費者金融会社からお金を借りた場合とほぼ同じです。クレジットカードの支払いは2回払いまでは手数料、ようするに利息は無しですが、3回払いからは利息が発生します。つまり・・
なるほど分かりました。クレジットカードの支払いを分割とかリボにするのってサラ金からお金を借りてるのと同じということですね。でもほとんどの人はそんな自覚はない。
お察しがいい。あなたはとても賢い方ですね。
まあそんな・・確かに子供のころからずっと成績は良かったですけどね。
でしょうな。ではそんな賢いあなたに質問ですが・・、支払いを先延ばしにして毎月の支払いが楽になった時、人間はどうなると思いますかな?
んー、たぶん、安心してしまってまた使い過ぎちゃう・・かな?また先に延ばせばいいやって感じで。
なかなか鋭い。ほとんどの人はそうなりますな。しかしそれは永遠には続かないのです。なぜかというと・・
限度額ですね。利用限度額になったらそのカードで買い物はできない。
ご名答!カードが使えないから現金で買い物をする。支払いの先延ばし癖がついてしまった家計が一気に苦しくなる瞬間です。そしてその先に待ち受けているのがカードローンというものです。私たちが若い頃の言葉で言えばサラ金ですな。この手のカードは比較的審査が甘いので、大抵の人は簡単に作れてしまう。
クレジットカードの支払いに加えてカードローンの返済も始まるのね。
そういうことです。もしクレジットカードを複数枚持っていればさらに先延ばしができるわけですが・・
結局はいずれ同じことが起きる。そして行き詰った時の金額は恐ろしいものになる。
・・これは驚いた。あなたはホントにお察しがいい。
いえ・・違うんです。察しがいいとかではなくて・・それ、まさに今の私ですから。
あー、そういうことでしたか。優秀なあなたでもお金のことについてはあまりよくわかっていなかったということでしょうな。
だって学校ではこんなこと教えてくれないですもの。
確かに。今では学校の授業でもやっと金融教育というのが取り入れられてきたようですが、私たちが子供の頃はそんなことはありませんでしたからな。
そうでした。子供がお金の話をすること自体が悪いことのような感じでした。借金のことなんて誰も教えてくれませんでした。
教えようにもそのころの大人自体に知識が無かったわけですからな。学校で教えない。親も教えられない。そして自分が大変なことになっても、その正体がよくわからない。なんとなく切ない感じがしますな。
そうですね。でもこの歳で他人のせいになんてできませんよね。あの・・私がこの状況から抜け出すにはどうしたらいいのかしら?・・あ、こんなことあなたに相談するのタダじゃ無理ですよね。
そうですな・・私も一応商売でやってるもので・・あ、そうそう、これに応募していただければ無料であなたの相談にのれるのですが。
ハマヲはコピーしたばかりの用紙の束から1枚を彼女に手渡した。
【極秘プロジェクト・メンバー募集中!】
人生100年時代!あなたの人生はまだまだこれから!
さあ、お金の悩みを解決して人生大逆転といきましょう!
有能なファイナンシャルプランナーがあなたを全力で応援します!
《応募条件》
●年齢:55歳~65歳(あくまでも目安です・応相談)
●まじめで勤勉な方
●人生が思うようにいってない方
●これからの生活に不安を感じている方
●お金さえあれば・・と思っている方ご応募お待ちしております!
詳細は下記までお問い合わせください。
しばはまFP事務所
電話:000-000-0000 メール:xxxxxx@gmail.com
怪しい・・これは怪しすぎます。危険な匂いがプンプンしますね。
そうですか?決して怪しいプロジェクトではないんですが・・今は説明している時間がありませんので、よろしければご連絡ください。
え?ええ、あなたは悪い人には見えませんから、考えてはみますけど。
では急ぎますのでこれにて失礼!
レイコは慌ててコンビニのドアを出ていくハマヲを見送った。ふとコピー機の釣銭返却口を見ると10円玉がひとつ残っていたが、彼の姿はもう見えなかった。
店員に届けようとも思ったが、思い直し自分の財布にしまって店を出た。
一瞬吹いた風がなんとなく心地よかった。
次回・第3話 「フワッと沼からの脱出」につづく
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